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難攻不落の日本一の山城|月山富田城跡

2024年1月5日

月山富田城跡 標高190メートルの月山(がっさん)全体に築かれた、日本一の山城。
約1km四方にも及ぶ城郭は、戦国時代の数々の激戦にも陥落せずに「難攻不落」とたたえられました。

戦国大名の尼子(あまご)氏の居城として有名で、尼子氏の滅亡後も毛利氏・吉川氏・堀尾氏が山陰統治の拠点としました。

尼子氏の忠臣で「願わくは我に七難八苦を与えたまえ」の名言で有名な山中鹿介(幸盛)とも縁が深く、今もその偉容を誇っています。

【国指定史跡・日本100名城・日本遺産の構成文化財】

住所:島根県安来市広瀬町富田
見学時間: 常時開放
休日:なし(年中無休)
駐車場:あり(無料)

日本一の山城

月山富田城へのアクセスは?

松江の南に約25キロメートル、中国山地の山あいにある島根県安来市広瀬町。
『月山富田城跡(がっさんとだじょうあと)』は、この静かな山里にあります。

山全体に築かれた広大な城で、約1km四方にも及ぶ城郭は今も健在!

自由に登って見学できて、歴史ロマンに浸れます。

太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)

登山口のそばには「安来市立歴史資料館」があります。
『月山富田城跡』のビジターセンター的な施設なので、登る前にぜひ立ち寄ってみましょう。

豊富な資料や出土品、歴代城主の略歴などで『月山富田城跡』の歴史と今を紹介していて、過去の姿の再現ジオラマもあります。

月山の地形がわかる「赤色立体地図(レーザーで解析した地形図)」もあり、山の形と急峻さを実感できます。

※観光地図・登山用のレンタル杖もあり(無料)

意外とかかる月山富田城跡の見学時間 スケジュールには余裕をもって!

『月山富田城跡』はスケールの大きな山城のため、見学時間が意外とかかります。
「日本一の山城」を満喫するためにも、ぜひ余裕をもって訪れましょう。

月山頂上(本丸)までの往復時間 ・・・ 約2時間
中腹(山中御殿平)までの往復時間 ・・・ 約1時間

※登山口は2つありますが、最初の見どころの「千畳平」で合流して1本の道になります

戦国大名

車で行くなら、『月山富田城跡』のふもとに広い無料駐車場があります。
(「安来市立歴史資料館」と「道の駅 広瀬・富田城」の共通駐車場)

急いで観光したい人は、ここから約400メートル登った月山の中腹にも小さな駐車場があります。(15台分)

中腹の駐車場から月山の頂上(月山富田城跡の本丸)までは、徒歩約30分
城全体を歩く時間がない人におすすめです。

現地までは電車とバスの乗り継ぎでも行けますが、どちらも本数が限られているため、時刻にご注意ください。

見学ルート 見学ルートは手すり付きのコンクリート道で、冬でも少々の雪なら歩けます。
※積もるほどの雪は危険なのでご注意!

平日の見学者数は数十人、土日祝は200~300人とそこそこ人出があるので、お1人様での見学も安心。
GWなどのハイシーズンは500人前後と、とてもにぎわいます。

安来市立歴史資料館内のジオラマ 『月山富田城跡』をより楽しく歩きたい人には、ボランティアガイドがおすすめ!

1.定時ガイド
(4月~11月の毎週土曜日の10~12時/予約不要・当日受付(10時まで)/1名500円)
2.個別ガイド
(通年で要予約/1週間前まで/ガイド1名(料金3000円)につき客数15名まで)

の2種類があり、『月山富田城跡』の歴史や見どころ、城の構造などを詳しく解説してもらえます。

(写真:安来市立歴史資料館内のジオラマ)

広さも造りもダイナミック! 月山富田城の見どころ ~前半~

それではいよいよ『月山富田城跡』の見どころのご紹介です。
歴史や構造を前もって知っておけば、より楽しく散策できます。

『月山富田城跡』の見学ルートは、ふもとの「安来市立歴史資料館」から本丸までで約1.8キロメートル

ただし本丸~三の丸の手前には「七曲り」という険しい道があるため、体力にあまり自信のない方は「七曲り」の手前の「山中御殿平(さんちゅうごてんひら)」で引き返すのがおすすめです。

その「山中御殿平」までのルートには、以下のような見どころがあります。

千畳平

千畳平

千畳平

巨大な大石垣の上に作られた曲輪。

※曲輪(くるわ)とは:人工的に造成して造った平坦地。郭とも書き、江戸時代以降の城では丸(本丸、二の丸など)と呼ばれることが多い

兵士の集合場所で、城下を見張るための櫓(やぐら)があったと言われています。

太鼓壇(たいこのだん)

太鼓壇(たいこのだん)

尼子氏の時代、時刻や非常事態を知らせる「太鼓櫓」があった場所。

山中鹿介の銅像が建っていて、周囲は桜に囲まれたお花見スポットです。

馬乗馬場(うまのりばば)

馬乗馬場(うまのりばば)

馬の訓練所だったと言われている、細長い曲輪。

奥書院

奥書院

政務や軍議を行う館があった曲輪。

花ノ壇

花ノ壇

侍所(さむらいどころ:武士を統率する役所)があったと思われる曲輪。
当時の建物が復元されていて、城内を見渡せる展望スポットです。

これらを通り過ぎると、いよいよ「山中御殿平」に到着です。

山中御殿平(さんちゅうごてんひら)

山中御殿平(さんちゅうごてんひら)

山中御殿平(さんちゅうごてんひら)

「山中御殿平」は大規模な石垣に囲まれた広大な曲輪で、かつて「山中御殿」と呼ばれた城主の館がありました。

この「山中御殿平」は約3000平方メートルもあって、大手門(籠城の際に敵を引きつけて戦う守りの要となる門)の跡や、軍用井戸の跡、大土塁と空堀など、戦国時代の山城ならではの史跡がたくさん見られます。

月山の中腹にある展望スポットで、見学ルートのほぼ中盤です。

絶景が広がる三の丸から本丸! 難所の「七曲り」をがんばって越えよう ~後半~

「山中御殿平」を過ぎると、いよいよ山頂=本丸に通じる「七曲り」が現れます。

七曲り

七曲り

この「七曲り」は敵に一度も破られたことのない難所だけあって、見上げるほどの急斜面!
無理せずゆっくり登りましょう。

名前は「七曲り」ですが、実際の曲がり角は11カ所あります。

さらに要所要所に小さな曲輪が設けられていて、攻めてきた敵を兵士が食い止められるようになっています。

三の丸

三の丸

「七曲り」を登りきると、吉川氏の治世(1591年~1600年)に築かれたと言われる「三の丸」が現れます。
広さは幅約30メートル×長さ約100メートルで、石垣を階段状に積み上げた「段築石垣」があります。

さらに月山富田城の歴代城主に信仰された「勝日高守神社」の鳥居や、かつての門の礎石が発掘されています。

ここからの眺望は素晴らしく、天気の良い日は日本海や島根半島まで見渡せます。

二の丸

二の丸

敵を寄せつけない急峻な切岸(きりぎし:天然の山肌を削って作られた崖)に守られた、約30メートル×30メートルの曲輪。

さまざまな陶磁器が出土していて、現在は東屋が建っています。

ここからの眺めも良く、敵の動向がよくわかるため、素早く戦に対応できたと考えられています。

本丸(山頂)

本丸(山頂)

いよいよゴール!
『月山富田城跡』の山頂で、幅約20メートル×長さ約170メートルの広大な曲輪です。

二の丸との間には巨大な堀切(ほりきり:地面を掘って作られた空堀)があり、掘立柱建物(ほったてばしらたてもの:地面に穴を掘り、基礎の石などを使わずに地面に直接柱を立てた建物)の跡も見つかっています。

大國主命が祀られています

本丸の最奥には「勝日高守神社」の奥宮があり、“国譲り神話”で知られる大國主命が祀られています。

この「勝日高守神社」は出雲國風土記にも名を記された古社で、『月山富田城』ができる前からありました。

ほかにも尼子氏の忠臣・山中鹿介(幸盛)の記念碑と、3本の大もみじがあり、もみじは秋に美しく紅葉します。

本丸からの見晴らしは最高

本丸からの見晴らしは最高で、晴れの日は広瀬町の全景と周囲の山々、日本海、中海、島根半島と美保関、弓ヶ浜まで見渡せます。

※大山(だいせん)は間に高い山があるため見えません

ここから眺める『月山富田城跡』の全景は、毛利元就や大内義隆が攻めあぐね、難攻不落を誇ったのも納得の眺め!

殿様気分で歴史にひたれます。

「日本百名城」のひとつ 『月山富田城跡』は「日本百名城」のひとつ。

ほかにも鳥取城・松江城・津和野城跡の4つが山陰にあり、これらを巡る旅が歴史ファンに人気!
さらに「続百名城」に選ばれた米子城もあります。

これらのうち松江城と米子城は、『月山富田城』の城主であった吉川氏と堀尾氏が造りました。
この2つの城は、『月山富田城』が基になったと言えます。

ここがすごいよ月山富田城跡! ~「日本一の山城」の秘密~

『月山富田城』は、戦国時代から江戸時代の初期まで常に出雲国の中心でした。
城主は移り変われど常に出雲国の本城で、山陰を統治するための拠点だったのです。

そんな『月山富田城跡』のすごさは主に4つ。
以下のポイントを押さえて見学すれば、より感動できます。

①大きくて広い!

①大きくて広い!

標高190メートルの月山(がっさん)全体がお城で、ふもとから本丸までの距離はなんと1.8キロメートル!

城というと天守閣を想像する人が多いかもしれませんが、それはあくまで城の一部。
本来の意味は敵を防ぐ「城塞」なのです。

そして『月山富田城』は室町時代に築かれた古い城なので、天守閣はもともと存在しません。
※天守閣が城に設けられるようになったのは戦国時代の末期からで、織田信長が築いた安土桃山城の天守閣が最初だと言われている

山全体を使ったスケールの大きな城=城塞で、実際にいくつもの戦を耐え抜きました。

①大きくて広い!

さらに戦国時代に城主となった尼子氏がとても豊かな大名だったため、『月山富田城』はさらに威容を増しました。

尼子氏は領地で「たたら製鉄」を営んでおり、戦国時代の日本の鉄生産量の約8割を産出していました。

そのため莫大な富を誇っていて、そんな尼子氏の財力に支えられた『月山富田城』は、日本随一の広大な山城となりました。

②城の工法と変遷がわかる

②城の工法と変遷がわかる

戦国時代は城に石垣を作る工法が無く、土塁を壁にして防御していました。
それが中世~近世と時代が進むにつれて、丈夫な石垣を積むようになりました。

『月山富田城』は城主が幾度も変わっていますが、石垣が作られたのは吉川氏の治世(1591年~1600年)から。
そんな時代ごとの工法と変遷が、現在の姿や発掘調査からわかっています。

日本の山城の歴史や工法の生きた資料なのです。

③一度も本丸まで攻められたことがない、難攻不落の城!

③一度も本丸まで攻められたことがない、難攻不落の城!

『月山富田城』は一度も落城したことがない“難攻不落”の城です。

戦のために作られた要害で、敵に攻められても容易に落とせないように工夫がこらされています。

まず立地に恵まれていて、西は川、東は急峻な山々に囲まれていて、敵の軍勢が容易に近づけません。

③一度も本丸まで攻められたことがない、難攻不落の城!

さらに本丸まで攻めこむには菅谷口(写真)・御子守口・塩谷口という3つの登山口しかなく、たとえ下方の曲輪が落とされても、残る多くの曲輪や虎口(こぐち:わざと狭く作った出入り口)など、敵の侵入を阻む仕掛けが多々あります。

そして三の丸の直前には急峻な「七曲り」があり、それを越えても切岸(崖)に阻まれた二の丸が、本丸の前には堀切(空堀)があり、『月山富田城』を攻めたあまたの武将たちもこれらを突破することはできませんでした。

難攻不落を貫いた日本屈指の要害です。

④歴史のターニングポイントとなる戦が行われた

④歴史のターニングポイントとなる戦が行われた

日本に山城は数あれど、本当に戦があった城や、歴史の転換点となるような戦が行われた城はわずかです。
『月山富田城』はそんな数少ない城のひとつ。

まずは1542年~1543年にかけて起こった、尼子氏と大内氏・毛利氏ら連合軍との戦。
これに尼子氏が勝利したのをきっかけに、大内氏が衰退して滅びました。

その後 尼子氏も、1565年~1566年にかけて再び攻めてきた毛利氏に滅ぼされてしまいます。
ですがその後も忠臣の山中鹿介(幸盛)らによる尼子再興軍が奪還戦を挑むなど、重要な戦の舞台となりました。

それらも毛利氏が鎮圧して、中国地方(山陰・山陽)の覇者となったのです。

月山富田城跡のお祭り

歴史ファンならぜひ参加したい! 月山富田城跡のお祭り

そんな悠久の歴史をしのんで、毎年9月末の日曜日には「幸盛祭」が開催されます。
尼子氏の忠臣・山中鹿介(幸盛)をしのぶお祭りで、昭和2年(1927年)から続いています。

『月山富田城跡』を舞台にウォーキングやマラソン、黙とうなどが行われ、幸盛と尼子氏の歴史に敬意を表します。

さらに5年に1回、10月下旬には「尼子一族全国大集会・戦国尼子フェスティバル」が開催されます。

こちらは日本全国から尼子氏や家臣の子孫が集う一大イベントで、武者行列やステージイベント、特産市などでにぎわいます。

中でも壮観なのが武者行列で、手作りの鎧をまとった武者たちが広瀬町内をねり歩きます。
尼子軍のヒーロー「尼子十勇士」役は、毎年公募で選ばれる歴史ファン垂涎の役どころ!

地元中学生による鉄砲隊や、女子によるなぎなた隊などもいて、かっての尼子軍の勇姿が甦ります。

構造や仕掛けもダイナミック とにかく広くて大きい『月山富田城跡』!
山頂(本丸)からの眺めは格別で、山城ならではの構造や仕掛けもダイナミック。

城や歴史好きなら、一度はぜひ訪れたい名所。

道の駅 広瀬・富田城 お土産はふもとの「道の駅 広瀬・富田城」でどうぞ。

尼子氏グッズや安来市の名物、広瀬町の伝統工芸「広瀬絣(かすり)」など、『月山富田城跡』ならではのお土産がいっぱい!

軽食コーナーや休憩コーナーもあり、広瀬絣の藍染体験もできます。

- DATA
月山富田城跡

HPhttps://yasugi-kankou.com/spot/gassantodajouato/

住所:島根県安来市広瀬町富田

お問い合わせ:0854-32-2767(安来市立歴史資料館)
入場時間:常時開放
入場料金:無料
休日:なし(年中無休)
駐車場:あり(無料)


- DATA
安来市立歴史資料館

X(Twitter)https://twitter.com/gassan_todajyo?lang=ja

住所:安来市広瀬町町帳752

電話:0854-32-2767
開館時間:9:30~17:00
休館日:火曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始

【アクセス】
<車>
山陰自動車道「安来IC」より約15分

<タクシー>
JR安来駅より約20分

<電車・バス>
JR安来駅~イエローバス(広瀬行き)35分「月山入口」下車~徒歩約1分
JR荒島駅~イエローバス(広瀬行き)20分「市立病院前」下車~徒歩10分

取材協力・写真提供:安来市立歴史資料館・安来市観光協会・安来市役所 広瀬地域センター・公益社団法人 島根県観光連盟/無断転載禁止
ライター:風間梢(プロフィールはこちら

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